ボクが染み抜き屋でなかったら・・・

ちょっと前のブログ記事、ボクはこうして染み抜き屋さんになった でも書いたのですが、基本的にボクは跡取りだったので、自分で選んだ道ではあるんですけど、いわば敷かれたレールの上をそのまま進んで今の仕事に就きました。

そんなボクですが、子供の頃はなりたい仕事があったんですよ。

まず一つ目は、「パン屋さん」
職人の子として産まれたからか、何となく誰かの手仕事を見てるのが子供の頃から好きで、パン屋さんのパンを捏ねたりする作業をテレビとかで観て面白そうだな~って思ってました。

でも、パン屋さんって朝早いんですね。お店にもよると思いますが、朝3時とかから仕込みを始めるんだとか。

うん、無理(笑) だってボク、朝がめちゃめちゃ弱いんですもの・・・(ちょっと低血圧の傾向もあって、しんどい時は上が100切ります)

そんなボクでも娘のお弁当を作るために今では朝6時に起きてますが・・って関係ない話ですね。

他にもなりたい仕事がありました。それは、警察官。
これは単純にカッコイイと思ってたのと、こう見えて正義感が強いので(笑)、悪い奴らをドンドン逮捕しちゃう自分の姿を夢想したりしてました。警察官になる夢は、30前ぐらいまでは採用試験を受けようか結構真剣に考えてました。もし今の年齢でも採用されるっていう制度が始まったら、真剣に悩むかもしれません(ΦωΦ)

そんなボクですが、大学を出て就職したのは、なぜか洋菓子会社(笑)

ボクの就活時代は、バブルはとっくに弾けていたのですが、まだ不景気という雰囲気ではなかったので、それなりに学生が就職先を選べる時代でした。

そんな中、なぜ洋菓子会社を選んだのか? 

大したオチはないんですが、やりたい事が見つからなかったボクは、直感で興味のある会社を片っ端からエントリーして、何故だか知らないけどすぐに内定貰ったのがその洋菓子会社だったというわけです。

それにしても今記憶を辿ってみると、本当に様々な業種にエントリーしました。
ゲーム会社、アパレル、車の販売会社、おもちゃの会社、システム会社・・・他にもあったはずですが、思い出せません(笑)

そんな中、洋菓子会社さんに拾ったもらったボクですが、やはり勤め人には向いていなかったらしく、一年で退職してしまいました(-_-;)

あの時の店長さん、総務の人、本当にスイマセンでした。

勤め人には向いていなかったことを身をもって知ったボクは、かえるの子はかえるとでも申しますか、結局は敷かれたレールの上を進んでいくこととなりました。

仕事の向き不向きって、何で決まるのだろう?

ボクの仕事って技術職でこまかい作業なんかもあるんですが、ワタクシ実はこう見えて?とーーーっても不器用なんです。

こういうこと言うと信じてくれない方もおられますが、本当に不器用ですし、芸術的な才能とか皆無です。

関西弁で言うと、どんくさいヤツなんですわ。

そんなボクですが、今の仕事では誰かに喜んでもらったり、時には身に余るような高い評価をいただいたりします。

ですので、跡継ぎとして選んだ仕事ですけど、今のボクにとっては自分の存在価値みたいになってます。

だから、常日頃から(気持ちだけでも)誰にも負けないように精進してますし、自分の仕事を愛し、依頼してくださる方への感謝の気持を忘れません。

覚悟が違うのだよ、覚悟が(ΦωΦ)

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栗田 裕史

栗田 裕史

1969年京都生まれ京都育ち。着物お手入れコンシェルジュ。着物クリーニング・染み抜き・お手入れ専門店二代目として生まれ、あらゆる衣類のトラブルを解決する染み抜き専門店【なをし屋】代表にして、染色補正師。と、書くと何だか敷居が高そうですが、全くそんなことはありません。麻呂とも呼ばれてます(ΦωΦ)